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Cast >>Julius Erving, Chuck D (Narrator), Magic Johnson, Todd Boyd, Pat Riley, Leon Saunders, Bill Walton, Michael Cooper, Maurice Cheeks, Charles Barkley ...
Director >>Zak Levitt
Writer >>
Producer >>
Genre >>Documentary
Country >>USA

 総合ポイント 4.5点/5点満点中
内容 >>4 演技 >>N/A 演出 >>5 音楽 >>5

 レビュー
”The Greatness meets Class"
1971年にABAのチームに所属してからずっとトップを走り続けたドクターJ事、ジュリアス・アーヴィングの選手生活16年と、プライベートにも追うドキュメンタリー。

ジョーダンが誕生する前のジョーダンだった。このドキュメンタリーで誰かがそう言っていた。そして今のMVPレブロン・ジェームスは「ジョーダンのプレイを見て憧れた。そのジョーダンが憧れ、モデルにした人物。彼が居なかったらジョーダンは居ないし、ジョーダンが居なかったら俺はいない」と語っている。ドクターJは、NBAではなくABAでキャリアをスタートさせているが、ドクターJこそが今のNBAの基礎を作ったと言っても言い過ぎではない。エンターテイメント性溢れる、あの記憶に残るダンクの数々。そして彼のトレードマークでもあったアフロに代表されるファッション性。「クールという言葉を70年代に調べようと辞書を引けば、そこにはドクターJを見ろと書いてあった筈さ」と、トッド・ボイドは言う。しかも彼には品があった。なのにドクターJは、ストリート・バスケの面白さをプロのコートで披露した人物でもある。

最後には63歳という年齢で、今のリーグの誰よりも美しいダンクを見せてくれるドクターJ。あの1976年のフリースローラインからのダンクと変わりない、絵になる偉大な選手である。
(Reviewed >> 6/12/13:TV放映にて鑑賞)

 100本映画
NBAが制作したドキュメンタリー。NBA TVにて放送。NBAで「ザ・ドクター」と言えば、ドクターJ事ジュリアス・アーヴィングの事である。その有名過ぎるニックネームの由来や小さい頃のバスケットボールの思い出や家族の事、そしてNBAに入る前のABA時代の頃の事、引退、引退後、そして今63歳のドクターJの姿が本人や友人にチームメイトによって語られている。

前にも書いた通り、バスケットボールの神は残念ながらこの映画のドクターJではなくて、マイケル・ジョーダンだと私は思っている。ちょっと前のコービー・ブライアント、そして今のレブロン・ジェームスは、とかくマイケル・ジョーダンと比べられる。だからこそ、私はマイケル・ジョーダンこそが神だと思うのだ。そのマイケルだって、チャンピオンシップを制するまでの駆け出しの頃は、このドクターJとかマジック・ジョンソンと比べられていた。でもいつの日からか、それが無くなったのだ。やっと人々はマイケル・ジョーダンはマイケル・ジョーダンなのだと認識したのだ。だから、まだマイケルと比較されているコービーもレブロンも、まだまだそれまでなのだ。マイケルと比較されなくなった時、その時こそがマイケルを越した瞬間。なのでマイケルが未だトップ。

そのマイケル・ジョーダンの前のマイケルがこのドクターJだった。ストリート・バスケをプロの世界に持ち込んだ男であり、それまで嫌悪されていたダンクをショーにしてビジネスにした男である。しかもハンサムでクール。そして上品。言わば、今の近代NBAの基礎となったような人である。NBAを見せるショーにした事で、NBAリーグはTV放映権を得て今のようなトップスポーツになった。しかも本人のハンサムでクールなルックスとスポンサーを納得&安心させる上品さで、個人に商品価値を生み、CM権を得て富を得た。まだ黒人がメジャーな商品のCM等に出ていなかった時代だ。しかしドクターJは自分のルーツを忘れてはいなかった。地元ニューヨークのロングアイランドで友人とやっていたバスケット、そしてプロに入る前に参加したハーレムの有名なラッカー・パークでのトーナメント戦にも出場している。ドクターJが出場したラッカー・パークは伝説となっている。大学バスケでは禁止されていたダンクを、ラッカー・パークでは遠慮なくダンクしてみせ、人々を魅了した。そしてまだ時代はNBAとABAに分かれていて、比較的自由なABAに入る。ABAは見世物としてのスポーツという感覚ももっていたので、ダンクが得意なドクターJにはもってこいのリーグだったのだ。そこでは、ヴァージニアのチームで活躍するが、お金がなくなったチームはドクターJを身売り、2年後には地元ニューヨーク・ネッツ(まだABA)に加入した。ABAでは、2度のチャンピオンシップ獲得に、3度のMVPとスコアタイトルを獲得した。選手の給料の高騰やテレビ放映権が取れなかった事でチケットセールスも落ち込み、ABAは経営難に陥って、ABAはドクターJを手放す事になった。

ドクターJは、ようやくNBAのチームであるフィラデルフィア76ersに入団。入団当初から凄まじい活躍を見せる。しかしいつもいい所まで行くが、チャンピオンシップは獲得できずにいた。マジック・ジョンソンにはカリーム・アブドゥル=ジャバー、ラリー・バードにはロバート・パリッシュが居たが、ドクターJには誰も居なかった。そこでチームは、同じABAで活躍していたモーゼス・マローンを獲得。NBAでもようやくチャンピオンシップを獲得したのだった。

ドクターJと言えば、スラムダンクコンテスト。そのコンテストはABA時代の1976年に開催された。その第一回で見せたフリースローからのダンクこそが、ドクターJを伝説とさせたのである。後に、ドクターJが引退後にゲストとして参加したダンクコンテストで、マイケル・ジョーダンが全く同じフリースローからのダンクを見せて優勝したという逸話も凄い。確かにマイケル前のマイケル・ジョーダンなのである。マイケルが持っていて、ドクターJが持っていないのは、オリンピックの金メダル位かな?

さすがに彼を憧れる人は多い。ドクター・ドレのドクターはドクターJから取った。そしてバラク・オバマ大統領の部屋にはドクターJのポスターが飾られていたらしい。確かにアフロを止めた直後の昔の映像は、どことなく若い頃のデンゼル・ワシントンに似ていてハンサム。絵になる男なのだ。

というかさ、サン・アントニオ・スパーズ、おめ!っていう見出しで書きたかったけど、残念ながら第6戦負けたからね。勝つの待ってたのに。でもさ、今のNBA見ていても、完全にドクターJの産物よね。ダンクだけでなく、ベースラインムーブとかも。ドクターJが出てこなかったら、デビット・スターンはあんなにお金儲け出来てなかったよ。足向けて寝るなよ!って事。今のNBAの形を作った一人だよね、確実に!

それでもって、この映画のエンディングが物凄くカッコイイ。感動で震える。現在63歳のドクターJが、フリースローラインに置いてあったボールを掴み、ダンクすべくジャンプする。映像では、ボールがネットに落ちた所までは見せていないが、確実にボールがネットを揺らしたであろうと分かる。63歳でまだダンク出来るって、すげー!超カッコイイ!!

 トリビア
NBAが制作したドキュメンタリー。パブリック・エネミーのチャックDがナレーションを担当。ドクターJとは同じ高校出身。

 その他

 受賞歴

 サウンドトラック
J. Period & James Poyser

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 インフォサイト
http://www.imdb.com/title/tt2986442/
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Last Modified: 2013-06-13
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