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●● レビュー "The SOUTH got something to say." ジョージア州アトランタ。公民権運動時にはキング牧師の活動の拠点となった南部最大の都市である。しかしNYにてヒップホップムーブメントが起き、西ではN.W.Aが台頭する中、アトランタを中心とする南部は出遅れ苦戦した。そのアトランタのラップの歴史を追うドキュメンタリー。 60年代の公民権運動時代から、アトランタには存在感をアピールする土壌があった。南部の最大都市は、その存在価値を全米にアピールしなければならない使命があったのだ。しかし、ヒップホップ生まれ故郷のNYや、N.W.Aのような西のように恵まれてはいなかった。存在感が無いので、尊敬すらされない。その中で、アトランタ最初のラッパーは苦しむ。2番目はNY出身。しかし、アトランタらしく地道にレコード店やミックステープ文化が根付いていく。しかしマイアミでは、2ライブ・クルーをはじめとするベースが生まれ、全国区となった。マイアミにも抜かされたアトランタ。しかし俺達はマイアミ・ベースじゃないと誕生したのが、アレステッド・ディベロップメントだった。アトランタの風土をそのままに今は主流となった歌とライムの融合で成功させた。しかし、まだまだアトランタの人々は自分達をそのまま反映したとは思っていなかった。その中で、ジャーメイン・ドュプリが出てくる。クリス・クロスを成功させ、ポップ的に大成功を収めた。ダラス・オースティンもTLCを大成功させ、街にはLaFaceというレコードレーベルが誕生する。TLCのリミックスを担当したオーガナイズド・ノイズがクリスマスソングを作れと言われ完成させたのが「Players Ball」だった。彼らはやっとこれこそがアトランタ産と胸を張っていえる曲が出来たのだった。そしてラップでは東と西とで揉めている時に、アンドレ3000が「俺たちサウスにも言いたい事はあるんだ!」とスピーチ。アトランタ・ラップのスローガンになったのだった。 アトランタにはアトランタの良さがある。アウトキャストが代表されるように、そのファンクネスに合う唯一無二のライム。キング牧師が連呼していたように「我々は打ち勝つのだ」というメッセージをそのままにした根性(または「風と共に去りぬ」の根性とも言おうか?)。サウスが言いたかった事、ここにしっかりとある! (Reviewed >> 9/10/14:TV放映にて鑑賞) |
●● 100本映画 音楽専門TVチャンネルVH1。けど最近は音楽じゃないつまらんリアリティ番組ばかりで、私は呆れ顔なんだけど、たまーーーにこういうドキュメンタリー作りよるよねっていう... あと、やたらとジャクソン5の映画『The Jacksons: An American Dream / 日本未公開 (1992)』とか、テンプテーションズの『The Temptations / ゲット・レディ! 栄光のテンプテーションズ物語 (1998) (TV)』を無限ループ状態で何回も再放送しているイメージ。まあその2作品とも好きなのでついつい見ちゃいますけど... でも散々ラップやヒップホップのドキュメンタリーは作り倒したので、今回はよりマニアックに、そして狭く... なんとアトランタのラップについてドキュメンタリーを作りよった!でも大好きなので、私的にはデカシタ!!と大喜び。でもさ、TVのガイドと実際の放送時間が15分くらいズレていて、録画失敗してんの!ムッカー!最初の15分くらい、そのくだらないリアリティ番組録画されていた。激怒よ。で、仕方なくサイトで見たんだけど、これまたCM多すぎでCMによっては進めないのもあったりで、実際には2時間くらいかかったわ、この映画見るのに!!と、VH1にはイライラしますが、この映画は最高っす!!マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が生まれたジョージア州アトランタ。なので公民権運動の重要な拠点となった場所でもあった。しかし70年代にニューヨークで生まれたヒップホップからは取り残された。生まれ故郷のニューヨークが主流で絶大な存在を示していたからだ。その後に全米に飛び火したヒップホップは、西のエンターテイメントの都ロサンジェルスでは、ストリートの現状をそのままライムにしたN.W.Aを代表するギャングスタ・ラップにてニューヨークに対抗し、人気を得た。もちろんアトランタの黒人の若者たちもヒップホップに夢中になったが、どうもニューヨークの真似になってしまうのであった。そしてそんなアトランタのヒップホップは尊敬を集める事もなかった。しかしアトランタでは、レコード屋やスケート場などが地道にアトランタのヒップホップ文化を築きあげていた。そして、キング・エドワード・Jがミックステープ文化を築いていく。しかし、南部黒人のメッカと言われるアトランタだったが、同じ南部のフロリダ州マイアミから出てきた2ライブ・クルーのマイアミ・ベースにも抜かされてしまう。そんな中突然出てきたのがアレステッド・ディベロップメントだった。彼らの南部の風土を濃く反映した独特のスタイル...しかし最初にヒットした曲が「テネシー」というタイトルという事もあり、アトランタ!を象徴するものではなかった。そして昔からショービジネスに居たジャーメイン・デュプリが登場。アトランタのモールで超有名だった少年2人を「クリス・クロス」としてデビューさせて、大ヒット。一気にアトランタという街をアピールしたが、ポップ的な人気でラップとして尊敬される事には程遠かった。その次に出たTLCも同じであった。しかしそれらのヒットが、LaFaceというレーベルをアトランタに根付かせる。TLCのリミックスで初登場したのが、アウトキャストという2人組みであった... ラップのドキュメンタリーで泣くとは思わなかったけど、アウトキャスト大大大好きなので思わず涙が出ちゃいましたね。アウトキャスト、滅茶苦茶カッコいい!!唯一残念なのが、アウトキャスト自身が出てきて話していない事なんだけど、オーガナイズド・ノイズのリコ・ウェイド(DFの男前)とレイ・マリーの2人が事細かく「Player's Ball」の制作秘話などを語ってくれておりますよ。その「Player's Ball」の出現に、T.I.は「やっと俺達の曲が!」と思ったと話していた。ジャーメイン・デュプリが「Yo! MTV Raps」に出たかったら、自費でNYまで行って出なくちゃならなかったなんて言っていたけど、アウトキャストの頃にはファヴ・ファイブ・フレディがアトランタにやってきて、彼らの有名なダンジョンを訪れた。もう泣くね。そして、あの有名な「ソース・アワード」での出来事ね。ちょうど、ラップの東西抗争が激化していた時で、会場にはビギーとディディの「バッドボーイズ」連中の東、そしてスヌープをはじめとする西が居た。会場はニューヨークなので、スヌープや西連中がステージに上がると強烈なブーイング。バッドボーイズ連中も「バッドボーイズ!」を連呼して煽る。そんな異様な雰囲気の中、ニューアーティスト賞を受賞しちゃった南のアウトキャスト。拍手とブーイングが入り混じる変な空気。アンドレ3000はスピーチでマイクを握り「The SOUTH got something to say!(南部だって言いたことはあるんだ!)」と叫ぶ。名シーンでしたよね。T.I.だったかヤング・ジージーだったか、あれは俺達にとってダイアモンドだった!と語っていた。あの時から南部もラップで尊敬されるようになった。感(┳∧┳)動。 映画秘宝の10月号にて『Freaknik: The Musical / 日本未公開 (2010)』について書かせていただいたけれど、その「フリークニック」も映像で見れた。思っていた以上に凄い!全米各地の黒人大学の学生達が集結していた。黒人版『Piranha 3D / ピラニア3D (2010)』のマイナス・ピラニア状態になっていた。 他にもあの80年代に起きた事件、映画『Who Killed Atlanta’s Children? / 日本未公開 (2000)』にもなったウェイン・ウィリアムスが、いかにアトランタのラップに影響したのか...というのも最高に面白く、60年代の公民権運動から遡ったアトランタのラップの歴史、最高でした!そういえば、昔、アウトキャストのビックボーイがツイッターでファンに「南部のキングは誰?」と聞かれ、「キング牧師に決まっんだろ!」って答えていたのもかっこよかったなーなんて思い出しました。最後はもちろんジャーメイン・デュプリとリュダクリスなどが出演の「Welcome To Atlanta」でお別れしましょうね。Crank! (1278本目) |
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