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Cast >>Sugar Ray Leonard, Roberto Duran, Mike Tyson ...
Director >>Eric Drath
Writer >>
Producer >>
Genre >>Documentary
Country >>USA

 総合ポイント 4.75点/5点満点中
内容 >>5 演技 >>N/A 演出 >>4 音楽 >>5

 レビュー
"No Mas (No More)"
アメリカのアイドル的ボクサーだったシュガー・レイ・レナードと、パナマ出身のロベルト・デュランの2戦目となった1980年11月に「ニューオリンズのリベンジ」といわれる一線で起きた「ノー・マス事件」について追っていくドキュメンタリー。

シュガー・レイ・レナードはアメリカでも大人気のボクサーだった。そのレナードの対戦相手になったのが、パナマ出身のロベルト・デュラン。1980年6月にその2人がカナダのモントリオールで対戦する事になった。デュランにとってレナードは富に溢れた巨大国家アメリカを象徴する人物だった。パナマの貧しい所から出てきたデュランは、そんな巨大な存在であるレナードを打ち負かして、自分みたいな者でも勝てる事を証明したかった。しかし無敵だったレナードが、デュランに負ける訳などないと誰もが思っていた。しかしデュランの情熱が勝ったのである。なんとウェルター級チャンピオンとなった。負けたレナードは呆然とした。ボクシングとも離れようとも思って引退宣言までした。しかしその気持ちがまたレナードをリングに立たせる。半年も経っていない1980年11月、その「ニューオリンズでのリベンジ」戦で復帰する。6月にチャンピオンとなって以来、地元パナマでは王様扱いで、パナマとニューヨークでパーティ三昧だったデュランは体重を大幅に増やしていた。何よりも勝つという情熱を失っていた。7ラウンド目にレナードは、デュランをイラつかせる作戦に出る。8ラウンド2:44、デュランは「ノー・マス(ノー・モア)」と試合を放棄してしまう。勝ったレナードは喜ぶが、レナードにも何か腑に落ちない気分を残した。レナードはその気持ちを整理するために、33年後にパナマに飛ぶのだった...

そんなレナードを気持ちを知っているのが、デュラン。「レナードは絶対に2度と満足なんて出来ないんだ」。ノー・マス。ノー・モア。
(Reviewed >> 10/15/13:TVにて鑑賞)

 100本映画
この事件というか、出来事が起きた時、まだ10歳にもなっていなかったので(はい、生まれてましたけど、何か?)、知らない。でも私と1歳しか変わらないうちの夫は「よーく覚えている」と言っていた。アメリカと日本の違いですかね?文化の違いですかね?それとも夫はシュガー・レイ・レナードが好きだからですかね?でもボクシングファンには、タイトルの「No Mas(ノーマス)」だけで、何のことだかピーンと来る、そんな出来事を追ったドキュメンタリーです。スポーツ専門チャンネルESPNがまたもや制作した「30 for 30」シリーズ。このシリーズ、どこまで続くんだろ?

アメリカではアイドル的な人気となっていたボクサーのシュガー・レイ・レナード。次の対戦相手は、パナマ出身のロベルト・デュラン。パナマの貧しい地区出身で、粗野で野性味あるボクサー。あのガッツ石松かともWBA世界ライト級チャンピオンを掛け戦いTKOで勝っている。ガッツですら「勝てない」と思ったのがデュランだった。デュランは「とにかくアメリカから勝ちたかった」と語っている。富の象徴でもあるアメリカ。デュランからは、それに勝ちたいという執念心を感じる。そして第1戦。1980年6月20日カナダ・モントリオール。「モントリオールの戦い」。デュランの執念が勝つ。「俺はあのアメリカを倒したのだ!」。パナマは祭になる。デュランは国のヒーローとなった。シュガー・レイは呆然とする。ハワイにバケーションに行ったが心ここにあらず。バケーションを早めに切り上げて、デュランとの再戦を誓う。「今度こそ勝つ」と。今度はシュガー・レイが挑戦者となり、執念心を燃やした。しかしデュランは勝った満足から、パナマとニューヨークでパーティ三昧。体重も増やした。シュガー・レイ側は同じ年の11月に再戦を設定。「ニューオリンズの復讐」。シュガー・レイの本名はレイ・チャールズ・レナード。あの名シンガーであるレイ・チャールズから名前を付けられていたのだった。再戦のスタートを飾るのは、そのレイ・チャールズ本人が歌う「アメリカ・ザ・ビューティフル」。歌い上げた後、レイ・チャールズはシュガー・レイと握手し、何かを耳元で囁いている。この作品でシュガー・レイがそれを「キック・アス!」と言われたと明らかにしている。何かを失っていたデュラン。7ラウンド目に入り、シュガー・レイは突如戦術を変える。遊んで、デュランをイラつかせる戦術に出た。8ラウンド2:44、デュランはグローブを上げ、「No Mas(ノー・マス)」と言った。試合を放棄したのだ。一瞬何が起きたのか分からなかったが、シュガー・レイは勝った。シュガー・レイの兄弟は喜ぶシュガー・レイに向かって「お前がそう(放棄)させたんだ!」と喜んだ。しかし次の朝、マスコミは違った。「八百長」だの書きたてた。デュラン側も「5ラウンド目辺りから、お腹が痛くなった」と説明。太りすぎていたので、下剤を飲んだと話した。

それから33年後。シュガー・レイがあの時の事を話す為にパナマに飛ぶ...

っていうドキュメンタリー。何が面白いって、マイク・タイソン!最近のマイク・タイソンは可愛くて仕方ない!トラブルも最近無いでしょ?そのマイク・タイソンが2人の対戦を1人で話しながらモノマネ?(再現)してます。それが見もの。タイソンは2人の対戦を見てボクサーになる事を決めたと話していた。しかも、あのタイソンの横柄な態度は、第1戦目のデュランが勝った後の態度を真似したとも告白している。そして上↑のレイ・チャールズの秘話も面白いでしょ?本当は5点満点でも良かったんだけど、減らした理由は1点。デュランが「No Mas」についてシュガー・レイに「俺はNo Masって言ってないんだ。レフリーが聞き間違えやがったんだ...」と語りだすんだけど、その告白がなぜか途中からシュガー・レイのナレーションでがぶって全部聞けなくなっている。聞きたかった。全部聞きたかった。監督は「またどうせつまらない言い訳」って思って、シュガー・レイのナレーションをかぶせたのかもしれないけど、やっぱり聞きたかった。そこだけです。

そして1989年12月、あれからほぼ10年後。2人はまた再戦している。ロベルト・デュラン38歳、シュガー・レイ・ロビンソン33歳の時だった。第2戦目からデュランは完全に低迷していた感じを受けるが、彼は90年代もボクサーとして引き続き戦い、2001年50歳で引退。シュガー・レイはデュランとの3戦目ほどなくして引退。97年に復帰しているが、負けている。デュランはシュガー・レイについて「レナードはもう絶対に2度と(ボクシングで)満足する事なんてないんだ」と、レナードの心を見透かしている。

つーか、この2人の戦いみたいに、激しく打ち合うボクシングって最近あんまり見ないよねー。それだけでも見る価値があるってものです!!そしてこのレナードとデュランの戦いは、映画化される。歌手のアッシャーがレナード役、エドガー・ラミレスがデュラン役。ロバート・デ・ニーロが伝説的なトレイナー役。アッシャーは撮影に備えて、めたんこ鍛えて体作ったよー

 トリビア
ESPNが製作の「30 for 30」スポーツショートドキュメンタリーの1作品。シュガー・レイ・レナードとロベルト・デュランの2戦目に起きた「ノー・マス」事件についてのドキュメンタリー。
日本ではスカパーの『ドキュメンタリー ~The REAL~』にて放送。

 その他

 受賞歴

 サウンドトラック


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 リンク
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 インフォサイト
http://www.imdb.com/title/tt3232958/
http://en.wikipedia.org/wiki/30_for_30
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Last Modified: 2013-10-16
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