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Willie Tyler & Lester (ウィリー・タイラー&レスター)
1940年生まれ
Filmography >> "Rowan & Martin's Laugh-In", "Coming Home" ...恐らく腹話術師の中では一番の知名度を誇っていると思う。60年代後半から70年代前半にかけて人気のあったスケッチコメディショー「Rowan & Martin's Laugh-In」には何度も出演していた。またマクドナルドのCMも何度も出演している所からも、その人気が伺えるだろう。。人形のレスターは頭が良くて口達者なキャラクター。BETのコメディアワードでは受賞したキーネン・アイボリー・ウェイアンズが会場に居たウィリーに対しても感謝の言葉を述べていた。他ジャンルでも影響を与えた腹話術師。 |
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Tim Reid (ティム・リード)
1944年生まれ
Filmography >> "WKRP in Cincinnati (TV)", "Sister, Sister (TV)" ...ティム・リードは業界初の人種融合のコンビ「Tim & Tom」として、白人のトム・ドレーセンとスタンダップコメディをしていた。 その後にコンビを解消して、ティム・リードは1978年から始まったTVシリーズ「WKRP in Cincinnati」のレギュラーとなり、 その番組の人気と共に、ティム・リードの知名度もアップさせた。今現在は、俳優としても活躍しているが、 「Once Upon a Time...When We Were Colored」等の映画監督や、プロデューサーとしても活躍中である。 |
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Jimmie Walker (ジミー・ウォーカー)
1947年生まれ
Filmography >> "Good Times (TV)", "Let's Do It Again"大人気となったテレビシリーズ「Good Times」のJJ役で大人気となった。 彼の十八番だった台詞「DY-NO-MITE!」は流行語に。逆に有名になり過ぎて、 共演していた母親役のエスター・ローレとの不仲説などもあり、 番組終了後と共に、テレビの出演が減った。しかし今でも精力的にツアーに回る毎日をおくっている。 |
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Franklyn Ajaye (フランクリン・アジャイー)
1949年生まれ
Filmography >> "Car Wash", "Robert Townsend's Partner in Crime" ...幸運にも彼の舞台を生で拝見した。あの独特のリズム感は巻き込まれると、ずっと笑ってしまう。 私が衝撃を受けたのが、ロバート・タウンゼントのスペシャル番組でのスタンダップコメディ。 ただマラソンの事を話しているだけなのに、ケラケラ笑ってしまう。 不思議なリズム感だ。今はアメリカではなく、オーストラリアに移って活動をしているが、 定期的にアメリカに戻り、クラブ等に出演している。 衝撃と言えば「カーウォッシュ」のあのアフロ姿も衝撃的だった。 |
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Sinbad (シンバッド)
1956年生まれ
Filmography >> "Jingle All the Way", "Cherokee Kid" ...シンバッドも長い間スタンダップコメディでがんばっていた。ロバート・タウンゼントやキーネン・アイボリー・ウェイアンズ等と親交があり、タウンゼントの番組に出演。その後、メキメキと力を付けて「A Different World」や自分のトークショーが始まると、その才能で観客の人気を掴んだ。音楽祭等の司会も経験したりした後に、主演の映画を何作か制作。アーノルド・シュワルッツネガーと共演したコメディ「ジングル・オール・ザ・ウエイ」等もある。得意なのは、人種ネタと日常ネタ。 |
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Thea Vidale (シア・ヴィデール)
1956年生まれ
Filmography >> "Thea", "Dr. Jekyll and Ms. Hyde" ...テレビや映画に出演する前までは、スタンダップコメディアンヌとして地元のワシントンDCやニューヨークやロサンジェルスの大都市で活躍していた。1993年から始まった自身のシットコム「Thea」が放送された。まだ売れる前の歌手・女優のブランディが出演していて人気となったが、番組は続かずにたった7回で終わってしまう。ブランディはその番組から人気となったが、主役のシアはその責任の為に後が続かず、2006年にはWWEのレスラーに転身。テレビのゲスト出演等を主にしている。 |
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J. Anthony Brown (J・アンソニー・ブラウン)
?年生まれ
Filmography >> "How to Be a Player", "Drumline" ...サウスカロライナで生まれ育ったJ・アンソニー・ブラウンは、まずジョージア州のアトランタに出て、 そこでコメディのキャリアをスタートさせた。その後にハリウッドに移り、アーセニオ・ホールの 「The Arsenio Hall Show」のライターをしていた。そして映画「How to Be a Player」等に出演するようになり、 数々のテレビ番組のゲスト出演を経て、今はラジオのDJや、テレビ番組の司会、コメディクラブの経営など忙しい毎日を送っている。 |
まとめ この時代からコメディも多様化され、「Black is Beautiful」時代を生きた彼らは独自のスタイルを好み、所謂「過激」な黒人コメディとも違うスタイルで突き進みました。 |