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Paul Mooney (ポール・ムーニー)
1965年生まれ
Filmography >> "Chappelle's Show", Bamboozled ...「In Living Color」やレッド・フォックスの「エッジ」さは、実は彼に頼る所が大きい。 デーモン・ウェイアンズが演じた「Homey the Clown」も彼の案から生まれたキャラクターだ。 他の4人に比べて一般人への知名度はさほどなかったが(業界ではもちろん尊敬されていた)、近年デイブ・シャペルが彼を「Chappelle's Show」で使い、 知名度も一気にアップした。エッジな人種ネタが得意。 |
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Eddie Murphy (エディ・マーフィ)
1961年生まれ
Filmography >> Beverly Hills Cop, Dreamgirls, Coming to America ...やっぱり、近代のコメディー界を築いたのはこの人。 高校時代からスタンダップコメディを始めて、19歳に早々とその才能を認められ「サタデー・ナイト・ライブ」が絶頂期だった頃に、 レギュラーとなり、番組は益々人気を得た。 その後、彼が映画界へと進んでも勢いは止らずに「ビバリー・ヒルズ・コップ」のシリーズが大人気となった。 お得意のマシンガントークも、最近では影を潜めているのがとっても残念。得意なのは、変装とマシンガントーク。 |
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Robert Townsend (ロバート・タウンゼント)
1957年生まれ
Filmography >> Hollywood Shuffle, The Five Heatbeats ...大学在学中から、シカゴの地元の劇団に所属していた。 その後同じように有名になろうとしていたキーネン・アイボリー・ウェイアンズと出会い意気投合して、 一緒にハリウッドに行った。「コットンクラブ」や「ソルジャーストーリー」等の映画で小さな役を掴み、 エディ・マーフィの抜擢により、ウェイアンズ等とマフィーのスタンダップコメディの映画を製作し、一躍注目を集める。 その後に、またウェイアンズと組み自らが監督した「ハリウッド・シャッフル」を成功させた。 その後も、自分のHBOスペシャル等で、若手に沢山のチャンスを与え、現代のコメディに貢献した一人。 今は、監督業で忙しい人物。得意なのはコント。 |
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Keenen Ivory Wayans (キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ)
1958年生まれ
Filmography >> I'm Gonna Git You Sucka!, Scary Movie, A Low Down Dirty Shame ...キーネン・アイボリー・ウェイアンズは、自らのそのコントや喋りのセンスも光るが、 何といっても後輩達を多く手助けした功績を称えなくてはならない。 もちろん、自分の兄弟やクリス・ロック、ジェイミー・フォックス、ジム・キャリー等、彼によって発掘された人物は数多い。 そのキーネンは、奨学金を貰った大学を中退して本格的にコメディを始めた。その頃にロバート・タウンゼントと出会い、 「ハリウッド・シャッフル」を完成させる。その後、自分で監督をした「ゴールデン・ヒーロー」を完成。 その映画で認められて「In Living Color」を一手に引き受ける。そのショーで、エミー賞も獲得。 その後も、弟のショーンとマーロンが脚本を書いた「最終絶叫計画」の監督を手助けして、アフロアメリカン監督として、 最高の興行成績をあげた。得意なのは、マイク・タイソン、アルセニオ・ホールの物まねと、コント。 |
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Arsenio Hall(アーセニオ・ホール)
1955年生まれ
Filmography >> Coming To America, "The Arsenio Hall Show" ...TVトークショーの司会になりたくて、がんばった男。 マジックも出来たりします。エディ・マーフィの親友でもあります。 でも夢がかなった男。80年代~90年代初期はこの男の時代でありました。得意なのは司会。 この人が司会していた頃のMTVアワードが、やっぱり面白かった... |
まとめ ラットパックとは、シナトラにサミー・デイビス・ジュニア、ディーン・マーティン等の5人の事で、 一緒に映画に出て仕事をする事が多かった人々です。日本では、御三家なんて感じで使いますね。 そんな感じでこの5人も一緒に仕事したり手助けをしていました。 今も活躍中の人ばかりです。この頃から人気に火が付くといいますか、 売れると凄かったですね。エディ・マーフィがその典型。 |