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●● 熱き思い 黒人俳優のパイオニア。
彼の存在感こそが、黒人の俳優達の前途を運命づけた。その俳優としての姿や音楽家としての姿や活動家としての姿など、全てにおいて。彼の才能は演技や歌においても絶対的で、黒人を差別するというものを乗り越えて、様々な人々の心に訴えかけた。そして彼が演じてきた男の姿や力強い歌声は、差別に耐えていた者達にとって勇気となった筈だ。
「The Proud Valley」で演じた役は後にシドニー・ポワチエという俳優に受け継がれ、「巨人ジョーンズ」で演じた役は後にデンゼル・ワシントンに受け継がれているように感じる。
彼が残した形跡は多くの俳優たちにも受け継がれていて、彼の功績は計り知れない。
私がこのホームページに掲げている言葉「The purpose of art is not just show life as it is but to show life as it should be.(芸術の目的はただ実生活を見せるという事だけでなく、そうあるべきというのも見せるべきである)」というのは、ポール・ロブソンが俳優のハリー・べラフォンテに語った言葉。それは私が感想を書くときにいつも思い出す言葉である。 |
●● バイオ ポール・ロブソンは父が買った土地ニュージャージ-州プリンストンに生まれた。父はノースカロライナのプランテーションに居た奴隷だったが、逃亡し、その後にリンカーン大学にて学位を取得し、牧師となっていた。母は学校の先生だったが、ロブソンが6歳の時に火傷で亡くなっている。
同じ州内のサマーヴィルに家族は移り住み、そこのサマーヴィル高校にて学業だけでなくスポーツや歌に演劇と非凡な才能を発揮し、優秀な成績を収め、同州にあるアイビーリーグの一つであるラトガース大学の全額奨学金を得た。ラトガース大学は黒人として3人目の入学者となり、同校の有名なフットボールチームに所属するが、最初のうちはチームメイトが一緒にプレイする事を拒んだという。しかし彼の才能は素晴らしいもので、有名なスポーツライターのウォールター・キャンプは「フットボール選手として最高のディフェンシブエンド」と称している。その証拠に2度もオールアメリカンに選出されている。またアメリカ最古のフラタニティであるファイ・ベータ・カッパにジュニア(3年)の時に入る事を許された。次の年には同校の優れた生徒が集まる「キャップ・アンド・スカル」にも選ばれる。そして1919年には卒業生総代に選ばれ卒業。
大学を卒業後にはコロンビア大学にて法学部に在籍した。学費を稼ぐ為に後のNFLとなるアメリカン・プロフェッショナル・リーグに在籍したり、演劇に出演したりしていた。そしてその大学では後の妻となる科学科に所属していたエスランダ・カルドソ・グードと出会い、1921年に結婚。その頃にはアフリカ系アメリカ人の最古のフラタニティでW.E.B.デュボイス等も所属していたアルファ・ファイ・アルファに入る。
そして1920年には最初の舞台をNYのTMCAにて「Simon the Cyrenian」を踏んでいる。タイトルのサイモン役だった。1922年にはイギリスにて同地の人気舞台女優のミセス・パトリック・キャンベルと共に「Taboo」(後にVoodooというタイトルに変更)に出演した。同作品は2年後にハーレムでも再演されている(ミセス・パトリック・キャンベルは出演していない)。
その後にニューヨークのプロヴィンスタウン・プレイヤーズに加入、1924年にはユージン・オニールの「All God's Chillun Got Wings」に出演。この物語は白人女性と結婚した黒人男性の物語で、妻は夫の肌の色を憎み虐待をし、夫の弁護士というキャリアを台無しにする話。チャールズ・ギルピンが主演で話題となった同じユージン・オニールのリバイバル「The Emperor Jones(映画化された時の邦題が巨人ジョーンズ)」に主演し話題となり有名になる。同じ1924年には黒人映画監督のパイオニアとして知られているオスカー・ミショーの「Body and Soul」に出演し2役をこなしている。この作品がロブソンにとっての映画デビュー作となった。
1928年にはまたロンドンに戻り「Showboat(映画化された時の邦題がショウ・ボート)」に出演。その2年後には同じロンドンで「オセロー」の舞台に立ち、大好評を得た。「オセロー」はアメリカのニューヨークでも13年後に上演している。そしてバス声を生かした美声でコンサートホールにも度々出場していた。
そして1930年にはイギリス製作の映画「Borderline」に出演。1933年にはロブソンを有名にした舞台「The Emperor Jones」が映画化され、その「巨人ジョーンズ」では舞台と同じ主役ブルータス・ジョーンズを演じた。続いて1935年にはまたイギリスに戻り「コンゴウ部隊」に出演。1936年には舞台でも演じた「ショー・ボート」に出演し、あの有名な「Ol' Man River」を披露した。同じ年にはイギリス映画「Songs of Freedom」にも出演。この頃にはアメリカとイギリスを行ったり来たりする日が続いた。
その後はイギリス映画に出演する事が多くなり、1937年には「Big Fella」、「キング・ソロモン」、「Jericho」の3本に出演。1940年には「The Proud Valley」にも出演している。しかし第2次世界大戦が始まり、イギリスを後にした。
その頃から政治的な発言が注目されるようになってきた。ロブソンは1942年の「運命の饗宴」以降、映画には出演していない。1941年から1945年までのアメリカとソビエトが連合軍だった頃は、ロブソンのソビエト寄りの発言は受け入れられたが、戦争が終わり、1945年からアメリカとソビエトが冷戦に突入すると、大きなトラブルとなった。1949年にはパリ世界平和会議の席で「数世代に渡ってアメリカの黒人を圧迫し続けてきた国の為に一世代で私たちを完全に人としての尊厳に育て上げた国(ソビエト)に対しては戦争に行くことは考えられない。」と発言し大問題となる。特に赤狩り時代のアメリカでは考えられない事だった。その後のコンサート会場では、石が投石されコンサートが中止させられるという目に遭っている。次の年1950年にはパスポートが剥奪。ロブソンはすぐに訴えを起こしたが、1958年まで裁判に持ち込む事が出来なかった。それによってコンサートの中止は相次ぎ、レコードも販売店から姿を消した。1947年には104000ドル(約1千40万円)もあった収入が、1952年には6000ドル(60万円)にまで落ち込んだ。その1952年にはスターリン平和賞を受賞している。
1961年にはモスクワのホテルで自殺を図ったといわれているが、彼の息子に寄れば、それはCIAが仕組んだもので、直前に飲んだものにLSDが含まれていたと信じている。以前に前立腺の手術などをしたのもあって、体調を崩していた。また精神的にも追い詰められていたロブソンは、1961年に入院した時に電気ショックと幻覚剤が使われた事が分かっており、彼がロンドンとニューヨークでその治療を受けた医師が、CIAの工作員である事が後に発覚している。
その頃には引退して、ニューヨークに住んだ後、フィラデルフィアの姉妹の家に移り、そこで晩年を過ごした。
そして70歳の誕生日を祝う3日間のイベントが東ドイツにて行われ、イギリスやモスクワでも行われた。75歳となる1973年にはカーネギーホールで大々的に誕生日が行われて、シドニー・ポワチエやジェームス・アール・ジョーンズ(後にロブソンを演じる1人舞台をおこなってる)やオシー・デイビスや発起人であるハリー・べラフォンテ等の有名俳優のほかに司法長官のラムゼイ・クラークやコレッタ・スコット・キングも参加している。
77歳になっていた1976年に脳梗塞で亡くなった。葬儀が行われたハーレムにあるロブソンの兄弟の教会では参列者が2500人集まり、会場に入れない人は何千人も居たという。ニューヨークに眠るロブソンのお墓には「The Artist Must Fight For Freedom Or Slavery. I Made My Choice. I Had No Alternative(自由と奴隷の為に戦わなければならなかったアーティスト。私は自分で選択した。代替手段は無かったのだ)」と記されている。
ロブソンについては多くのドキュメンタリー映画も作られている。 |
●● トリビア & etc... |
●● 主演作 * Tales of Manhattan (1942) .... Luke * Native Land (1942) (voice) .... Narrator/Vocalist * The Proud Valley (1940) .... David Goliath * Jericho (1937) .... Cpl. Jericho Jackson * King Solomon's Mines (1937) .... Umbopa * Big Fella (1937) .... Joe * Song of Freedom (1936) .... John 'Johnny' Zinga * Show Boat (1936) .... Joe * Sanders of the River (1935) .... Bosambo * The Emperor Jones (1933) .... Brutus Jones * Borderline (1930) .... Pete Varond, a Negro * Camille (1926) .... Alexandre Dumas fils * Body and Soul (1925) .... Rev. Isaiah T. Jenkins/His brother Sylvester |
●● 受賞歴 * Walk of Fameunknown - Star on the Walk of Fame Motion Picture At 6658 Hollywood Blvd. |
●● 関連記事 |
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●● インフォサイト http://www.imdb.com/name/nm0732079/http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Robeson http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=43850 |
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