●●追悼 詩人・作家・映画監督・女優であるマヤ・アンジェロウが5月28日ノースカロライナの自宅で他界した。86歳だった。死因はまだ明らかにされていないが、介護人が朝死亡しているのを発見した。最近は体調を崩し講演をキャンセルする事もあったとの事。映画ではゲスト出演的に出演する事が多かったが、監督としてはウェズリー・スナイプス&アルフレ・ウッダード主演の「Down in the Delta / 日本未公開 (1998)」を制作している。
ミズーリー州セントルイスで生まれたマヤ・アンジェロウ。「マヤ」という名前は兄からのニックネームだった。アンジェロウが小さい頃に両親は離婚。父方のお婆ちゃんがいるアーカンソー州の小さな町に兄と2人だけで行かされ、そこにしばらく住んだ。しかし数年後に父親が突然やってきて、また母と父とセントルイスで住むことになったが、その頃に母親のボーイフレンドに性的暴力を受けた。そのボーイフレンドは刑務所行きになったが、たった1日だけだった。しかし出所後に殺されている(アンジェロウのおじが殺したとの見解)。それと同時に言葉が発せなくなった。またアーカンソーのお婆ちゃんの所に戻り、知り合いの勧めで本を読むようになり、言葉も戻るようになった。14歳でカリフォルニアのオークランドに移住。カリフォルニア労働学校にてダンスと演劇の奨学金を貰いながら、サンフランシスコの路面電車の運転手となり、それは黒人女性として初の事であった。しかしその頃の生活は荒れていたようで、17歳にて息子を出産。23歳ごろにギリシャ人のトッシュ・アンジェロと結婚。彼の名前を変えて芸名を「マヤ・アンジェロウ」となった。そのちょっと前にあの有名ダンサーのアルビン・エイリーと出会いリタという芸名で「アル&リタ」というグループを組んでいた。アンジェロとの結婚も3年で終わり、その頃にはカリプソのアルバムを発表している。オフブロードウェイで自分で作曲した曲に踊る形で舞台に立っていた。その頃にであった作家の進めで、書くことを進められて、ハーレムライターズ協会に加入。公民権運動やアフリカのアパルトヘイト廃止運動に携わるようになり、南アフリカの活動家Vusumzi Makeに出会い、エジプトで生活。2人の関係が終わると息子と共にガーナで生活を始め、大学に通い、そしてガーナの新聞にも記事を書くようになった。1969年に自伝「I Know Why the Caged Bird Sings(歌え、翔べない鳥たちよ)」を出版。出版まで至ったのは、友人として仲をはぐくんでいたジェームス・ボールドウィンからの導きだった。1972年にはスウェーデンを舞台にした映画「Georgia, Georgia / 日本未公開 (1972)」の脚本を担当し、当時殆どいなかった黒人女性の映画脚本家となった。伝説となった「Roots / ルーツ (1977) (TV)」にも出演し、クンタ・キンテの祖母を演じている。そして我々の年代だと、彼女の詩がたっぷり使われ、そしてゲスト出演している「Poetic Justice / ポエティック・ジャスティス/愛するということ (1993)」が一番有名であろう。そしてビル・クリントンの大統領就任式では詩を詠んだ。1998年には「Down in the Delta / 日本未公開 (1998)」にて70歳で長編監督デビューもした。
まさに驚くべき女性(Phenomenal Woman)であったマヤ・アンジェロウ。
安らかに。
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