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Tupac Shakur (トゥパック・シャクール)

職業 >>役者, ミュージシャン,
生年月日 >>06月16日1971年
出生地 >>East Harlem, Manhattan, New York City, New York, USA
忌日 >>09/13/1996 (享年 25 歳)
バースネーム >>Lesane Parish Crooks
ニックネーム >>2Pac, Makaveli, Pac, Thug Life
配偶者/パートナー >>Keisha Morris (29 April 1995 - 1996) (annulled)

 熱き思い
トゥパックの死は衝撃的だった。あの日の事は10年以上たった今でも忘れられない。「ジュース」や「ポエティック・ジャスティス」、そして彼の曲で見せた繊細な心を今でも思い出す。だから今でも人々の心に深く残っている。若者の心に訴えかける唯一無二のプロフェットだった。

 バイオ
ニューヨークでブラックパンサーの母アフェニとビリー・ガーランドの間にアフェニが爆破の罪で刑務所に居る頃に妊娠したのがトゥパックだった。生まれた時には母が起こした事件により復讐を恐れた母がレサーン・パリッシュ・クルックスと出生証明書に記入し提出している。後に母が再婚する際に植民地時代のペルーで反乱事件の指導者トゥパック・アマル2世からトゥパック・アマル・シャクールと改名した。

12歳の頃にはハーレムの127番通りレパートリー劇団にて「A Rasin in the Sun」にて主役の息子トラビス役にて舞台に立っている。

1986年にボルチモアに移動し、ボルチモアの芸術高校に進む。そこでは今も女優として活躍するジェイダ・ピンケット=スミスと出会い、交流を深めた。この時に2人が撮ったビデオが後にテレビで放送される事が多い。そしてこの頃にMCニューヨークとしてラップを始めている。
同じ年に義父でブラックパンサー党とも組んでいる新アフリカ共和国のメンバーのムツル・シャクールが逮捕された。

1988年にカリフォルニアのサンフランシスコ郊外のマリンシティに移動。そこの高校で詩を勉強し、その頃にその詩の先生がStrictly Dopeというシャクールが所属するグループのコンサートを開催。そのコンサートで注目されて「デジタル・アンダーグランド」に誘われ所属した。

デジタル・アンダーグランドのシングル「Same Song」に参加。映画「絶叫屋敷へいらっしゃい」のサウンドトラックとして収録された。映画にもホンの少しだが出演していて、映画デビューしている。後にその曲はデジタル・アンダーグランドの2枚目のアルバムにも収録。

1991年にはソロアルバム「2Pacalypse Now」を発表。ビルボードのR&B部門では13位まで上昇しゴールドアルバムとなった。

1992年にスパイク・リーの撮影技師だったアーネスト・ディッカーソンが監督デビューした「ジュース」で主役の1人に抜擢された。またその年にはデビュー作「2Pacalypse Now」を聞いた若者が「警官を殺せ」という歌詞に触発されて、テキサスの州警察を殺してしまう事件が起きる。そして故郷のマリンシティの屋外でコンサート後にファンの為にサインや写真にこたえていたシャクールに向かって暴言を吐く者が現れ、口論になり発砲事件となった。その時に100メートル先で自転車で遊んでいた6歳の子供が流れ弾にあたり死亡する事件も発生した。

1993年には、デビュー作の「ボーイズン・ザ・フッド」でアカデミー賞の監督賞に最年少でノミネートされたジョン・シングルトンの期待の2作目「ポエティック・ジャスティス」にジャネット・ジャクソンと共演を果たしている。そしてソロアルバム2作目となる「Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z.」を発売。プラチナアルバムとなっている。
10月にアトランタの警官と口論となり発砲事件を起こしている。そして11月にホテルに招いた女性に性的暴行を加えて逮捕された。

1994年はバスケットの青春映画「ビート・オブ・ダンク」に出演。異父兄弟や古くからの友人と共に「Thug Life」を組み「Thug Life: Volume 1 」を発売している。そして11月にはちょうど婦女暴行の判決が下る前日にレコーディングスタジオに入る際に何者かに襲われ5発の銃弾を受けている。2発は頭に、残りは腕と股と腿に1発づつ受けた。シャクールはその後に見かけたディディとビギーとアンドレ・ハレルの仕業だと思っていたという。そして次の日には医者の指示を無視し、車椅子で裁判所に出向き、婦女暴行の判決を聞いた。レイプでは無罪になったが、性的虐待で有罪となり禁固刑が言い渡された。

1995年にはThug Lifeも合わせて通算4作目となる「Me Against the World」を発売。ビルボードチャートで念願の1位を獲得し、ダブルプラチナとなっている。映画「ハード・ブレット/仁義なき銃弾」に主演している。
2月には婦女暴行の罪でニューヨークの刑務所に収監。4月には獄中で長年の恋人だった女性と結婚(後に無効としている)。刑務所に入ってから8ヶ月後の10月に釈放されている。

1996年にはソロアルバム4作目となる「All Eyez on Me」を発売。ビルボードチャートで1位、そして9プラチナという大ヒットを収めている。

1996年9月7日、マイク・タイソンとブルース・セルドンのラスベガスでの試合を見た後に、シャクールが所属するデス・ロウ・レコーズのオーナーであるシュグ・ナイトが運転する車でクラブに向かう途中に何者かから銃弾を受け、13日の午後4時3分に死亡が確認された。享年25歳だった。

そして死後すぐに発売されたのがマキャベリ名義で発売された「The Don Killuminati: The 7 Day Theory」である。こちらもビルボードで1位を獲得し、4プラチナに輝いている。また映画「グリッドロック」と「ギャングシティ」は撮影済みだった為に、死後に公開されている。

毎年のようにトラブルに巻き込まれていたが、映画も音楽も毎年1作には必ずコンスタントにこなしていた。また没後も輝き続けるのは彼1人だと信じる。

 トリビア & etc...
* 没後に残っていた音源を元に多く既に8枚のアルバムがリリースされ、最後の「Pac's Life」以外はいずれもプラチナを獲得している。またそれ故に「トゥパックは生きている」説が絶えず、キューバで目撃された生存説など未だに話が尽きない。また没後はドキュメンタリーも多く制作されており、こちらも年1本のペースで制作されている。中でも有名なのが2003年の「Tupac: Resurrection」でアカデミー賞のドキュメンタリー部門にノミネートされた。
* シャクールは1度結婚しているが結婚を無効としている。また子孫は残していないが、噂では日本人女性との間に1人子供が居るというが、あくまでも噂なので真相は分からない。死直前には、クインシー・ジョーンズの娘キダダ・ジョーンズと付き合っており結婚を約束していた。
* 「メナースIIソサエティ」に出演予定だったが降ろされたので、監督のヒューズ兄弟と喧嘩になっている。

 主演作
* Gang Related (1997) .... Det. Rodriguez
* Gridlock'd (1997) .... Ezekiel 'Spoon' Whitmore
* Bullet (1996) .... Tank
* Murder Was the Case: The Movie (1995) (V) (uncredited) .... Sniper
* Above the Rim (1994) .... Birdie
* Poetic Justice (1993) .... Lucky
* Juice (1992) .... Bishop
* Nothing But Trouble (1991) .... Digital

 受賞歴
* Black Reel Awards
2004 Nominated Film: Best Song for: Tupac: Resurrection

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 リンク
 オフィシャルサイトNot available

 インフォサイト
http://www.imdb.com/name/nm0000637/
http://en.wikipedia.org/wiki/Tupac_Shakur
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=72037

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Last Modified: 2010-10-09
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